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進まぬ公費解体と増える無投票当選は双子である

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更新日:2024年6月18日





能登半島地震で壊れた建物の解体が進んでいない。

なぜなら壊れた建物が誰のものかわからないからである。実際にそこに住んでいても、その建物が登記されてなければ、第三者に自分のものだと主張できない。

持ち主が不明なものに公費は使えないのである。参照→住民が頭抱える“未登記問題”


登記とは建物や土地の戸籍であり、登記簿にはその不動産が誰のものかが記されている。

法治国家の権利の取得は、届出、申請、申立てなどを行政庁にすることで実現する。

子どもが生まれれば、出生届、結婚すれば婚姻届、お店をしたいなら営業許可申請、行政の判断に異議があるなら不服申立てを行うことで、権利を取得する。つまり、届出などの手続きは義務なのである。権利を得るためには義務を果たさなければならない。

至極当たり前のことだが、能登半島をはじめ、地方の僻地や農村、漁村では、この手続きの義務を果たさない、というか、意識がない状況がごく普通に罷り通っている。


先祖の代々の家と土地は、オラの家と土地という感覚が根強く、所有者を変更する登記が代々行われず、「先祖」という名無しの権兵衛の土地と家に、みんな暮らしているわけだ。

そして、自分たちの手に負えない天災が起きると、「先祖」ではなく、行政に頼るも、行政はその土地と家が誰のものか特定できず公費が使えないことになる。

未登記ということは、土地の区画も定かでなく、壊れた家の大きさも正確には把握できない。固定資産税は最後の登記の記録で割り出していたわけで、田舎の行政も住民の権利意識と大差ないといえる。


この権利義務意識の低さが日本という法治国家に大きなダメージを与えるのが選挙である。

もっとも重要な権利の主張と義務の行使である選挙で、「無投票当選」が増加している。

NHKの調査によれば、全国41の道府県議会議員選挙において、40%の選挙区が定員を超える立候補者がなく「無投票当選」となっているという。つまり選挙が行われなかったのだ。市町村レベルだとその数はさらに増加するという。

選挙が行われない民主主義国家という皮肉な有様が今の日本の姿なのである。


権利意識も少なく義務意識も希薄。金をもらえば金をくれた人に従う。金権主義である。

あのひどい太平洋戦争で原爆を落とされ大負けをした果ての80年後、私たちは未だに天皇を神さま扱いし、自分たちの権利と義務を棒に振って、再び大負けが始まろうとしている。


権利とは、義務という努力があってこそつかめることを忘れかけているか、そもそも気づいていないのかもしれない。長いものに巻かれる。米国に巻かれる。大企業に巻かれる。

死ねと言われれば、死ぬのだろうか?あんなに大負けした戦争を味わったにも関わらず。


いま、テレビのニュースが流れた。「ダイハツ同様、トヨタも型式検査をインチキしていた」と。はじめからわかっていたのに誰も何も言わないからインチキが蔓延する。


震災の焼け野原と空襲の焼け野原が重なって見える。まるで双子だ。





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